あけましておめでとうございます

 新年あけましておめでとうございます。

 民主党政権へという歴史的な政治の変革。面白い情勢の年明けですが、憲法九条を守る運動、いっときも目を離せません。

今年もよろしくお願いします。

 県の事務局長の浜田章作さんからメール年賀状をいただきました。ご了解をえてご紹介します。

 

 

亡き人たちへの供養を忘れない

                安井美恵子

 

平成二十一年七月二十七日、夫婦共に八十路を歩く私たち二人は、かねてより念願だった来世の道標を建立することが出来ました。夫は自筆で「平和」と大きく書きました。

昭和初期の生まれである二人。父二人は支那事変、兄四人は第二次世界大戦に参戦しました。夫の兄二人は海軍、私の兄二人は陸軍でかけがいのない人生を、大きく狂わされました。

 

義兄は

 

夫の長兄は瀬戸内海に於いてグラマン戦闘機により、マストで見張りをしていて、爆撃により多くの破片を身体に受け、命は取りとめたものの、その後の人生を大きく変えさせられました。十四年間の小学校長を務めた兄は、内面と外面での行き方、考え方が異なり、家族は大変な苦しさを味わいました。

昨年、法要の席を借り、私は自分史として投稿した「孫たちへの証言」の中で、義兄と同じ戦艦「日向」で同じ体験をされた方の手記を詠み、兄の遺児に事の真相を話しました。真相を語らず、自分が生き恥をさらしたとの生き方を続けた義兄の人生、その海軍にて病気となり、何の手当てもなく、二十二歳で亡くなった次兄、それを見取った両親の心の中はいかばかりだったでしょうか。

 

 

さつき川柳会・平和を詠む-その2

9-senryu-2.jpg

クリックで拡大します。

 

境港市内の同好の方たちで活動する『さつき川柳会』から、“平和”を詠んだ川柳が境港九条の会に届けられました。先日の続きです。会報11号にも紹介しましたが、ここにも掲載します(敬称略)。

 

さつき川柳会・平和を詠む

9-senryu-1.jpg
 

クリックで拡大します。

 

境港市内の同好の方たちで活動する『さつき川柳会』から、“平和”を詠んだ川柳が境港九条の会に届けられました。会報10号にも紹介しましたが、ここにも掲載します(敬称略)。

まずは8首。あとはまた後日に掲載します。お楽しみに。

 

沢田研二の『我が窮状』

ジュリー、沢田研二が歌う『我が窮状』が話題になっています。10月にはNHKも紹介しました。

歌はまぎれもない憲法9条賛歌。なぜいま?とのマスコミの問いに沢田研二はこう答えています。

「60歳になったら言いたいことをコソっと言うのもいいかな、と。いま憲法は、改憲の動きの前でまさに『窮状』にあるでしょう。言葉に出さないが9条を守りたいと願っている人たちに、私も同じ思いですよというサインを送りたい。」

 

 

川柳に詠む九条

会の事務局メンバーの井田容子さんは、境港さつき川柳会のメンバーでもある。

鳥取県内の川柳を楽しむ方たちの平成20年度の句集が発行された。そこに詠んだ彼女の句から三首ご紹介。

 

「九条」に守られ私の今日がある

 

「千の風」幾多の故人(ひと)の顔浮かぶ

 

青春の残像乗せて「出雲号」

 

国を憂いて詠む

「しんしんと降る雪の国 憂へつつ九条の 礎 継ぎ伝へん」

上道町の足立輝夫さんが、05年2月26日結成総会で、戦中、戦後と歩んでこられた道を語られ、いまの心境として詠まれた歌です。

この日、会場となった境港市民会館の外は、しんしんとは雪に包まれていました。感慨深く聴きました。

 

 

得手を生かして

keiko-1.jpg外江町の田口恵子さんから、絵手紙が寄せられましたので紹介します。

田口さんは、新日本婦人の会で絵手紙を教えています。”得手を生かして平和を守りたい”とおっしゃっています。

クリックすると大きくなります

 

キリストの教えに従って

kusachi-1.jpg

朝日新聞記事/クリックで拡大

 

境港九条の会結成の中心になって活動された草地大作氏。当時、日本キリスト教団上道教会の牧師でした。

草地氏が、境港九条の会事務局員として05年5月9日付朝日新聞に登場しました。紹介しておきます。

草地氏はいま同教団の***教会へ転任となり、向こうでもがんばっていらっしゃいます。(07年12月 事務局記)

 

 

平和憲法を後世に

hamada-1.jpg

日本海新聞記事/クリックすると拡大

 

境港九条の会呼びかけ人の一人、浜田章作さんは、鳥取県九条の会結成準備の先頭にもたっています。浜田さんへのインタビュー記事が、05年5月8日付日本海新聞に掲載されましたので、紹介します。

浜田さんは、境港市麦垣町在住。山陰放送を経て、当時、元鳥取女子短大助教授、69歳。